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 地域資源紹介

フェニックスロベレニー

フェニックスロベレニー

■指定されている場所:八丈町

「フェニックスロベレニー」(Phoenix roebelenii)、通称「ロベ」は、東南アジア原産のヤシ科フェニックス属の常緑低木です(以下、ロベと称します)。高さは2~4mでヤシとしては小型のものです。和名では「シンノウヤシ」(親王椰子)といいます。やわらかく光沢のある緑色の葉が直立した幹から広がり、その優美な姿から観葉植物として人気が高く、成木は鉢物に、切葉は生け花用の添え葉として用いられています。

学名の由来

フェニックスロベレニー

学名の前半は「属名」、後半部分は「種小名」といいますが、ロベの種小名 roebeleniiロベレニーは、命名者のラン育種家ジェームズ・オブライエンが、スイス人植物収集家カール・ロベレンCarl Roebelin)に敬意を表して名付けたものです。ロベレンがラオスのメコン川沿岸でロベを発見し調べてもらうために英国に送りました。オブライエンがそれを調べ、1889(明治22)年に新種として発表しました。ちなみに、種小名のroebeleniiロベレニーは、Roebelin という名前をラテン語化した言葉の「属格」(英語の所有格に相当)で、「ロベレンの」を意味します(Phoenix roebeleniiは「ロベレンのフェニックス」に相当)。属名のPhoenix「フェニックス属」の由来には諸説あり、椰子の葉の広がりが、「不死鳥」や「火の鳥」と呼ばれる古代エジプトの伝説の鳥「フェニックス」の羽を連想させるという説や、ある種のフェニックス属植物の果実が赤紫色になるので、赤紫の染料の産地であり色名でもある「フェニキア」からフェニックスになったという説もあります。

八丈島への導入

フェニックスロベレニー
ロベ感謝の碑

大正時代の初めに八丈島にはロベが持ち込まれましたが、ロベは雄花と雌花が別の木に生じる雌雄異株であることを知らずに、雌雄の株がそろっていなかったため増やすことができませんでした。1921(大正10)年、八丈島に日本ではじめて雌雄一対のロベの株が導入されました。この種子からやがて苗が育てられました。八丈島の温暖な気候や土壌がロベの生育に適していたため八丈島で積極的に増やされました。特に昭和30年代以降、ロベが観葉植物として知られてくると、ロベの需要は急増しました。八丈島は、様々な種類の花卉(かき)園芸が盛んですが、ロベはその中でも最も生産量が多く、八丈島は国内の市場占有率の96%を占めており、鉢物に至っては100%となっています。八丈島の中之郷には、島のロベの先祖となった「ロべ雌雄原株」と、ロベが八丈島の産業に大いに貢献したことを感謝する「ロベ感謝の碑」が置かれています。

ロベの特徴


葉柄を切り落とした跡

ロベの幹の表面には葉柄が落ちた跡が小突起状に残り、独特の幹肌になります。幹の上部には褐色の繊維が網目状にまとわりついています。葉は長さ1~1.5mで、四方に下垂して広がります。小葉の長さ約20cm、幅約1cmで一つの葉に約50対の小葉が並ぶ羽状複葉(うじょうふくよう)です。葉の根元には長さ約20cmのトゲがあります。花はクリーム色で、初夏に葉の間から出た花穂に小花が咲きます。果実は長さ約1cmの楕円形で秋に黒く熟します。

農業体験

フェニックスロベレニー

八丈島では、日本の他の地域と同様に農業従事者の高齢化が進んでいます。八丈町では、2008(平成20)年に「八丈町農業担い手育成研修センター」を開設し、新規就農者を育成しています。同センターでは、農業で独立自営できる農家を育てるため、研修生を募集しています。また、「島で暮らしてみたい!農家の仕事を体験してみたい!」という人のために、東京都島しょ振興公社では「農ある島暮らし体験」という4日間の農業体験の場を提供しており、その日程の一部では、ロベの収穫や出荷作業を体験することができます。

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