このページの本文へ移動

TOKYOイチオシナビ 見つけて活かす東京の地域資源

文字サイズ

 地域資源紹介

六地蔵

六地蔵

■指定されている場所:小金井市

六地蔵は、1707(宝永4)年に小金井村の念仏講が「二世安楽(にせあんらく・現世と来世が安楽となること)」を願って建立したものです。六地蔵の近くにある前原坂上の交差点は、幾つかの街道や農道が交わる「六つの辻」、つまり六叉路(ろくさろ)でした。この六つ辻を「六道の辻」とみなし、その近くに六地蔵が建てられました。

六地蔵とは

仏教では人間が死んだ後、生前の善行や悪行によって行く先が地獄餓鬼(がき)、畜生修羅人間六道(りくどう)に分かれるとされていますが、その分かれ道が「六道の辻」です。六地蔵はそれら六道における苦しみを救う6種類の地蔵菩薩のことを指します。それぞれの地蔵は、地獄道の檀陀(だんだ)、餓鬼道の宝珠(ほうじゅ)、畜生道の宝印、修羅道の持地(じじ)、人間道の除蓋障(じょがいしょう)、天道の日光といいます。こうした六地蔵は、病疫や悪霊を防ぐ守りとして、日本各地の村境や辻(交差点)、寺や墓の入口などに置かれていました。それら六地蔵の石像の形は様々で、笠地蔵の昔話のように6体の石像が横に並べられたものもあれば、小金井の六地蔵のように1つの石塔に6体の地蔵のレリーフが刻まれたものもあります。六地蔵は各地で地名の由来になっており、京都府宇治市や、愛知県岡崎市では「六地蔵」という地名が今も使用されています。

小金井の六地蔵の特徴

六地蔵

小金井の六地蔵は高さ140cm の笠つきで六角形の石塔で、塔身の各面には、一体づつ地蔵が半肉彫りにされています。塔身には、「奉建立六地蔵壹品念仏講中為二世安楽也 旹宝永四丁亥稔九月廿四日 武刕多麻郡小金井村念佛同行四拾六人」という銘が刻まれています。このタイプの石塔は「六面石幢(ろくめんせきどう)」とも呼ばれています。6つの地蔵はそれぞれ、印相や持ち物に違いがあります。六地蔵の敷地内には深井戸が掘られ、「六地蔵のめぐみ 黄金の水」として住民に親しまれています。

六地蔵の黄金の水と小金井小次郎

六地蔵

ちなみに、六地蔵の「黄金の水」の水汲み場には、三宅島(みやけじま)観光協会によって寄贈された石材が用いられています。小金井と三宅島との関係は、幕末から明治時代にかけて実在した侠客「小金井小次郎」から始まっています。小次郎は子分が3000人を数える大親分で多摩一円を縄張りにしていました。しかし、度重なる賭博開帳の罪で三宅島に流刑となります。小次郎は水不足に悩む島民のために井戸を堀り、海岸から石を運んで貯水槽をつくり、その井戸は後に「小次郎井戸」と呼ばれるようになります(昭和30年代まで実際に使用されていました)。こうして、小金井小次郎が三宅島の生活向上のために貢献したことから、1978(昭和53)年、三宅村と小金井市は友好都市盟約を結ぶに至りました。

六地蔵は、武蔵小金井駅南口から南に進んで商店街を抜け、前原坂上交差点を左に曲がり、すぐにまた左に曲がった少し奥まったところにあります。駅からは徒歩5分ほどです(東京都小金井市本町1-7)。

一覧はこちら

ページ
トップへ
戻る