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地域産業資源紹介


東京うど

東京うど

■指定されている場所: 立川市、国分寺市

数少ない日本古来の野菜で、古くは平安時代の貴族に珍重されていたと言われるうど。うどはもともと山菜の一種で、主に山野で採れるものでした。これを畑(うど室)で採れるようにしたのが、立川市や国分寺市で栽培される「東京うど」です。主な出荷時期は12月中旬から4月末頃。成長する前の白い茎と葉を食用にするもので、その味の評価は高く、贈答用に用いられるほか、高級料亭でも使われています。また近年は江戸東京野菜として注目を集め、各種メディアでも多数紹介されています。



東京うどの栽培方法


山野で採れるうどが緑色なのに対し、東京うどは白い色をしています。太く白い良質なうどを生産するには、日の光を当てずに栽培する必要があります。そのため東京うどは、「うど室(むろ)」と呼ばれる深さ約3メートルの穴蔵の中で育てられます。うど室の中は、東京うどが成長しやすいよう、年間を通して18度から20度ほどの温度に保たれており、冬場は電熱線などで暖めることもあります。生産者はうど室の中で酸欠になるのを防ぐため、ロウソクの炎などで酸素の有無を確認しながら作業します。


東京うどを栽培するための穴蔵「うど室」


発芽した様子。一ヶ月ほどで出荷できる長さにまで伸びます。


高冷地の畑で栽培される東京うどの根株

東京うどの栽培は、大きく2つの時期にわけられます。ひとつが、うど室に根株を伏せ込み(植え)発芽させる「軟化栽培期」(11月中旬頃から4月末頃)、もうひとつが次年度に向け、根株を畑で育てる「根株栽培期」(4月末頃から11月中旬頃)です。根株栽培期は、連作障害を避け、優良な根株を育てることなどを目的に、その多くが群馬県などの高冷地の畑で委託栽培されています。

東京うどの歴史

東京西部におけるうど栽培は、江戸時代後期に、旧吉祥寺村(現在の武蔵野市吉祥寺)で始まったと言われています。第二次世界大戦後からうどを栽培する農家が増え、栽培地が西方へと拡大。国分寺市や立川市では昭和30年頃から本格的に栽培されるようになりました。崩れにくく、温度を一定に保ちやすい関東ローム層の土壌がうど室に適していたことなどもあり、現在では北多摩エリアが都内最大の生産地となっています。

東京うどをPRする取り組み


一般の東京うどよりも短く、贈答用に使われることが多い「立川こまち」

クセがなくやわらかい東京うどは、どんな食材とも合わせやすく、酢の物や炒め物、天ぷら、汁物、サラダなどさまざまな料理に使われます。このため、立川市内の飲食店などでは、うどラーメンうどパイうど羊羹など、多種多様な料理や加工品が登場しています。
立川市うど生産組合では、短茎の「立川こまち」という新ブランドの東京うどを生産しているほか、日の光を通しにくく品質を維持しやすい包装袋を独自開発するなど、他地域と差別化を図るためのさまざまな取り組みを進めています。 また国分寺市では、市内の農畜産物を飲食店と一緒にアピールする「国分寺三百年野菜 こくベジ プロジェクト」の中で、東京うどを使ったオリジナルメニューを飲食店が考案する「うどフェスタ」を開催。農業振興と観光振興、商業振興などを絡めたイベントを開催することで東京うどの販促を支援しています。


国分寺市「農業祭うど品評会」の様子

また両市とも毎年、収穫の最盛期となる2月に東京うどの品評会を開催。生産技術の普及や技術の向上を促すほか、即売会を併催することで、市民に向けたPRにも力を注いでいます。


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