このページの本文へ移動

TOKYOイチオシナビ 見つけて活かす東京の地域資源

文字サイズ

地域産業資源紹介


贈答用高級ぶどうとしてファンの多い「高尾ぶどう」

高尾ぶどう

■指定されている場所: 練馬区、稲城市

「高尾ぶどう」は、1956(昭和31)年に東京都農業試験場(現・東京都農林総合研究センター)で栽培していたぶどうの「巨峰」が、自然交配して偶然に生まれたものです。
大粒でラグビーボールのような楕円形の形が特徴の高尾ぶどうは、濃い紫色の皮をむいて食べると、口いっぱいに甘さが広がります。



東京生まれのぶどう


もともと巨峰は、花が咲いても結実しない「花ぶるい」という現象が多く、大粒で味が良いのに、収穫にムラがある生産者泣かせの品種でした。そこで東京都農業試験場の芦川孝三郎さんが、花ぶるいのしない大粒種を作ろうと、1956(昭和31)年に巨峰のタネを播いて研究を始めました。しかし育った苗はどれも巨峰の性質をそのまま受け継いだものばかりで、「花ぶるい」のしないものは出ませんでした。しかしこの苗木の中から、偶然にタネのできない無核系統のものが現れました。この中から品質の良いものを残し、「立川一号」として山梨や長野などの試験場でも適応試験が行われ、1971(昭和46)年に東京都を代表する名山である高尾山にちなんで「高尾」と名付けられました。1975(昭和50)年に「高尾」として正式に品種登録され、一般の消費者からは甘く美味しいぶどうとして「高尾ぶどう」と呼ばれ親しまれるようになりました。

「高尾」の栽培管理


ラグビーボール状の楕円形をした高尾ぶどう

紫黒色ラグビーボール状の楕円形をしているのが特徴の高尾は、当時、市場に出回っていた同じ種なしぶどうのデラウェア種などとくらべて、大きさと甘さが群を抜いていました。しかし、一房になる粒が多すぎ間引かないと大きな粒に育たず、品質は優れているものの栽培管理が非常に難しく手間がかかるため、ほとんど普及しませんでした。
試作した農家には評価が低かったものの、甘くて大粒の「高尾ぶどう」は、手間をかけて栽培管理すればこれほど美味しいぶどうはないと、このぶどうに惚れ込んだ一部の生産者達の手によって、1973(昭和48)年ごろから稲城市や日野市などで栽培が始められました。1976(昭和51)年には「稲城市高尾ブドウ研究会(現・稲城市高尾ぶどう生産組合)」が発足。また、1981(昭和56)年には練馬区、板橋区のぶどう農家により管内JAの果樹部会として「城北ぶどう研究会」が発足します。その後、生産方法や販売方法など試行錯誤を繰り返しながら次第に認知されるようになりました。現在、「高尾ぶどう」は稲城市や練馬区などの果樹生産者によって、東京ブランドを代表するぶどうの品種「高尾」と呼ばれ栽培されています。

高尾ぶどうのPR


防薬シャッター

練馬区では2015(平成27)年に「練馬果樹あるファーム構想」を策定し、2016(平成28)年以降、果樹園経営者の支援策の一環として、のぼり旗やPR看板、PRシール、PR冊子などを作成し、広報活動の支援を行なっているほか、防鳥棚や防草シートの設置などを補助する制度を設けています。
また稲城市でも、後継者育成と技術継承のために、生産組合が毎年、管理作業にあわせて講習会を開いて栽培技術を学ぶ場を設け、栽培技術の向上に努めています。また近年は、都市化により周辺に住宅が増え、農薬散布などへの苦情が入るようになったことから、作業時間の考慮や、農薬の飛散軽減のための防薬シャッター設置を補助し、地域住民への理解を求めています。

高尾ぶどうの関連商品

 
稲城市を代表する高級ぶどうとして贈答用に
人気

贈答用の高級ぶどうとして全国に知れ渡るようになった「高尾ぶどう」は、生産者の直売所で販売されているほかは、市場を経ずに個人客の注文販売で売り切れてしまいます。
練馬区にある都内初のワイナリー「東京ワイナリー」では、東京ブランドである「高尾ぶどう」を100%使用した東京ワイン「高尾ロゼ」を製造販売しています。


一覧はこちら

ページ
トップへ
戻る