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地域産業資源紹介


三鷹で咲いた紫草の花

紫草(むらさき)

■指定されている場所: 三鷹市

紫草(むらさき)の根であるシコン(紫根)から取られる染料は、コウカ(紅花)、アイ(藍)とともに、日本三大色素の一つに数えられています。紫は古来から高貴な色とされ、聖徳太子の制定した冠位十二階において、最上位の大徳・小徳が紫の冠を用いました。紫草によって染められた「江戸紫」は、江戸時代に最も流行した色でした。それらは武蔵野で自生していた紫草で染めらました。三鷹市には、井の頭弁天にある石燈籠の「紫燈籠」や、武蔵野市との境に架かる「むらさき橋」があり、かつて染色が盛んだった名残です。
 



紫草と万葉集

『万葉集』の中でも、額田王(ぬかたのおおきみ)が、大海人皇子(おおあまのおうじ)に向けて詠んだ「あかねさす 紫野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖(そで)振る」という歌はよく知られています。紫草を栽培している天智天皇の畑で、元恋人の大海人皇子が大胆にも、天智天皇の妃になっていた額田王に向かって手を振ります。そこで額田王が、「そんなに私に手を振ったら、畑の番人に見つかってしまうわ」と歌ったものです。


シコン(紫根)

この歌から、紫草が天皇の「標野」、つまり標識によって囲われていた領地で栽培されており、しかも野守、つまり番人によって窃盗から守らねばならないほど貴重であったということが理解できます。
 

 




紫草の薬効

紫草の標準和名は、ムラサキ(Lithospermum erythrorhizon)で、東アジア温帯の各地に自生するムラサキ科の多年草です。ムラサキの根のシコンには、傷口の治癒を促進し、抗菌や抗炎症の効果があります。江戸末期の外科医・華岡青洲(はなおか せいしゅう)は外用膏薬として、シコンを含有する「紫雲膏(しうんこう)」を考案しました。
 



みたか紫草復活プロジェクト

かつては、武蔵野の地に広く自生していた紫草が、今ではレッドリスト(絶滅危惧種IB 類)に指定されるほど、数が減っているという現状を憂え、紫草を栽培・育成し、復活させることを目指した「みたか紫草復活プロジェクト」が2003(平成15)年、発足しました。運営の目的は大きく3つあります。
(目的1)紫草を私たちの手で栽培・育成することによる復活
(目的2)「紫根染め」(=江戸紫染め)の復活
(目的3)紫草が武蔵野の地に自生できるようになる自然環境の復活

 



紫草の栽培


紫草の種子(長さ約 2mm)

みたか紫草復活プロジェクトの始動にあたり、国内のある企業から活動への協賛として種の提供を受け、紫草の栽培が始まりました。種ね撒きの時期は3 ~ 5 月です。紫草は、環境の影響を受けやすく、また種子の表面が固いため発芽がしにくく(発芽率は約10%)、虫などに弱いために、発芽したもののうち3 分の1ぐらいしか育ちません。発芽の時期には毎日のように水やりをする必要があります。このような栽培の難しさが、古代において紫草が貴重なものとみなされた理由の一つといえます。やがて紫草は、初夏から夏にかけて小さく可憐な白い5弁の花を咲かせます。会では、毎年試行錯誤を続けて育成法を研究しています。さらに、収穫した紫草の根を用いて、紫根染めも行われています。


紫草の発芽


紫根染めされた布





画像提供:みたか紫草復活プロジェクト


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