このページの本文へ移動

TOKYOイチオシナビ 見つけて活かす東京の地域資源

文字サイズ

地域産業資源紹介


島唐辛子

指定されている場所:八丈町

「島唐辛子」とは、伊豆諸島や小笠原諸島で栽培されている唐辛子の一品種。香りがよく、果実(いわゆる「実」)は2~3cmと小粒ですが激辛です。地元では「島とう」とも呼ばれています。伊豆諸島や小笠原諸島の人々は刺身を食べる際、ワサビの代わりに、青い島唐辛子を生(なま)のままか軽くあぶり、カットして箸でつぶして辛味を加えた醤油を用いたり、もしくは「島とう醤油」を使って食べます。これは、かつて島ではワサビが貴重品で、自由に手に入らなかったことが関係しています。

島唐辛子の活用法

八丈島では、島唐辛子を用いた様々な加工品が販売されています。「島とう醤油」は、八丈島産の島唐辛子を生姜やにんにくと共に醤油に漬け込んだものです。刺身だけでなく、冷奴(ひややっこ)や、きんぴらにも使われます。「島とう味噌」は、島唐辛子の辛みと味噌の甘味が絶妙な一品です。もろきゅうにも合い、カレーや麻婆豆腐などの隠し味としても便利です。また「柚子辛子(ゆずがらし)」は、柚子の風味と唐辛子の辛さが相まった調味料で、うどんやそば、ラーメンの味付けにオススメです。他にも様々な島唐辛子を利用した加工食品が作られています。

トウガラシとキダチトウガラシ

島唐辛子は、植物学的にはトウガラシ属の「キダチトウガラシ」Capsicum frutescens)に分類されます。ピザに使うタバスコソースの原料となる「タバスコ」や、沖縄地方の「コーレーグス」(「高麗胡椒」という言葉に由来)もキダチトウガラシに属します。どれも果実が小さめで激辛なのが特徴です。それに対して、「タカノツメ(鷹の爪)」や「ヤツフサ(八房)」、「ホンタカ(本鷹)」、「サンタカ(三鷹)」、「伏見辛」、それにピーマンやパプリカは、「トウガラシ」Capsicum annuum)という種に属しています。

島唐辛子の栽培


木立(キダチ)トウガラシ

島唐辛子は春に種まきをして、7〜9月頃花が咲きます。果実が青いまま収穫すれば「青唐辛子」に、さらに数ヶ月後果実が熟してから収穫すれば「赤唐辛子」になります(種まきや収穫時期は土地やその年の気候によって異なります)。「トウガラシ」や「キダチトウガラシ」は耐寒性が低く、本州では冬を越えないために大抵一年草として扱われていますが(原産地の南米で自生しているものは多年草です)、八丈島ではキダチトウガラシは多年草で、1年を過ぎると茎が木化するために「木立(キダチ)」トウガラシと呼ばれています。キダチトウガラシは2年を過ぎると、背の高い灌木状になります。3年を過ぎると木の高さがかなり高くなり頂上付近の果実は収穫が困難になります。

「島唐辛子」に限らず、トウガラシやピーマン、パプリカなどもすべて、赤い果実の品種と緑色の果実の品種があるわけではなく、未熟な状態で収穫されれば緑色で(ピーマン、ししとうなど)、完熟した果実を収穫すれば赤くなります(タカノツメなど)。辛いか辛くないかは品種の違いによるもので、辛い品種のものは香辛料として料理に広く用いられ、辛みの少ない品種のピーマンやパプリカ、シシトウ(獅子唐)などは、世界中で野菜として食されています。

唐辛子の歴史

「トウガラシ」や「キダチトウガラシ」は中南米が原産で、ペルーやメキシコでは古代から食用とされ、栽培されてきました。1492年のクリストファー・コロンブスによる新大陸の発見時に、西洋人は初めて唐辛子に出会い、本国に持ち帰りました。コロンブスはインドの香辛料、特にコショウ(pepper)を求めてはるばる大西洋を横断しましたが、新大陸をインドと思い込み、そこで発見した唐辛子も胡椒の一種と勘違いしたため red pepper(レッド・ペパー)と呼びました。さらに、辛みの少ない品種は英語でsweet pepper(スイート・ペパー)と総称されるようになります。その後、唐辛子は世界各地に広まり、ほどなくして日本にも伝わります。日本に入った経緯は諸説あり、16世紀にポルトガル人が九州の大分に伝えたという説や、17世紀初期に豊臣秀吉の朝鮮出兵に行った兵が朝鮮にあった唐辛子を日本に持ち帰ったとする説、さらには西洋から九州にまず唐辛子が伝来し、それが朝鮮に伝わり、後に秀吉の兵が本州に伝えたという説もあります。唐辛子のことを「南蛮」や、「高麗胡椒」というのも伝来した経路に由来すると考えられます。「唐」辛子という名前から、中国から日本に伝わったと思われがちですが、この場合の「唐」は単に「外国の」という意味であり、中国への唐辛子の伝来は日本より遅く17世紀末頃と考えられています。


一覧はこちら

ページ
トップへ
戻る