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地域産業資源紹介


江戸風鈴

■指定されている場所:江戸川区

風鈴の歴史は古く、古代中国において竹林の竹に玉片を掛け、互いにぶつかり合う音の鳴り方で吉凶を占う「占風鐸(せんふうたく)」が起源といわれています。やがて日本には、寺院の軒下の四隅に吊るす青銅製の鐘(かね)形の鈴「風鐸(ふうたく)」として伝わり、風で風鐸が鳴る音に厄除けの効果があるとされ、魔を遠ざけるとされる赤色で塗られました。ガラス製の風鈴が文献に登場するのは、江戸時代中期の享保年間(1716〜36年)です。長崎のガラス職人が大坂・京・江戸を巡業し、見せ物として「ビードロ風鈴」作りを披露しました。ビードロとは、ガラスを指す古い言葉で、ガラスを意味するポルトガル語の vidroに由来します。ガラス製で「ポッぺン」と音の出る玩具も「ビードロ」と呼ばれています。当時は、大名や豪商のみが買うことのできる高級品でしたが、天保年間(1830~43年)の頃には、江戸には理化学用のガラス製品を取り扱った「加賀屋」や、「ビードロ風鈴」、「ビードロ簪(かんざし)」を得意とした「上総屋」という問屋が現れ、ガラス製品が普及していきます。江戸の町には天秤棒を担いだ物売りが、食べ物や薬、タバコ、朝顔や金魚といった多様な商品を「売り声」をあげながら路上販売していましたが、風鈴売りは売り声を上げる必要がなく、風鈴の音が宣伝になりました。

江戸風鈴の特徴


風鈴の縁の部分はギザギザです

「江戸風鈴」という名称は、それまではガラス風鈴と呼ばれていたものを、「江戸」時代から伝わる伝統を受け継いだ工芸品という意味を込めて、1964(昭和39)年に風鈴職人の篠原儀治(しのはら よしはる)氏が名付けたものです。篠原氏は、江戸川区無形文化財保持者で、名誉都民です。江戸風鈴は、「篠原風鈴本舗」(江戸川区)、「篠原まるよし風鈴」(台東区)の2ケ所のみで作られています。

「江戸風鈴」の特徴は、音を良くするために風鈴の縁の部分をあえてギザギザのままにしていること、型を使わない「宙吹き(ちゅうぶき)」によって作られるために一つ一つ個性のある形と音色をしていること、風鈴の内側から絵付けをしていることが挙げられます。

江戸風鈴のデザイン


えどがわ伝統工芸産学公プロジェクト
による美大生とのコラボレーション作品

今日、透明なガラスにさまざまな彩色をしたものが一般的ですが、1970年代頃までは赤いものが主流でした。これは、風鐸の赤が魔除けの色として好まれていたことに由来します。絵柄としてかつてよく用いられた「宝船に松」は、「宝を待つ」といったしゃれが込められています。現在では、涼しげな「朝顔」の図柄や、「金魚」の図柄が好評です。最近では、招き猫、東京の町並みを描いたものや、蓄光塗料を用いたもの、ハロウィンにちなんでカボチャの絵柄も登場しています。さらに、漫画やゲームのキャラクターや、ゆるキャラを絵柄に含めたコラボレーション作品も手がけています。また、江戸川区の伝統工芸者と女子美術大学が連携した「えどがわ伝統工芸産学公プロジェクト」を通じて、美術大学生がデザインした風鈴の新作も作られています。


卓上台

形は、標準的な「小丸」(直径約8cm×高さ約7cmの丸い形)やそれらより大きい「中丸」「大丸」だけでなく、「ひょうたん」、釣鐘型の「しんすい」「すずらん」があります。また、軒下ではなく机の上でも楽しめるように、風鈴をかける「卓上台」も販売されています。

江戸風鈴の製作工程


坩堝の断面

ガラス風鈴は、空中でふくらませる「宙吹き」という工法で作られます。1320℃前後の炉の中に坩堝(るつぼ)が埋め込まれていて、融けたガラスで満たされています。「ともざお」という長いガラス管の先に、熱したガラスを1円玉くらいの大きさに巻き取ります。高温でオレンジ色の光を発しているこの小さな玉を「口玉」といいます。口玉の上にもう一度ガラスを巻いて乗せますが、これが風鈴本体となります。そして、職人がガラスの塊を細く長く吹いてふくらませていきます。本体の部分に針金で穴を開け、糸を通す穴を作ります。20分くらいすると、冷めて触れられるようになり、口玉の部分を切り落とします。最後に、内側から筆を入れて絵付けをします。

篠原風鈴本舗では、繁忙期の7〜9月上旬以外の時期に工房での体験教室が開かれています。一般客のみならず、修学旅行生も多数参加しています。


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