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 地域資源紹介

ラム酒

ラム酒

指定されている場所:小笠原村


ラム酒とは、サトウキビの糖蜜やしぼり汁を発酵させて作る蒸留酒のことです。発祥地はカリブ海に浮かぶ西インド諸島の最東端の島・バルバドスと言われています(プエルトリコ発祥説もあります)。1628年、無人島だったバルバドスにイギリス人が移住し、イギリス初の植民地となりました。サトウキビはニューギニア付近が原産地であり、カリブ海の島々には自生していませんでしたが、イギリス人がサトウキビを移入して大規模農園を作り、バルバドスは製糖業で栄えるようになります。その製糖過程で生じる副産物を利用して作られたのがラム酒です。

ラム酒の語源

ラム酒の語源
サトウキビ

「ラム酒」を意味する英語のrumとは、イギリス・デボンシャー地方の方言で「興奮、大騒ぎ、乱痴気騒ぎ」を意味する「rumbullion(ランバリオン)」を短くしたものです。最初にサトウキビの酒を試した島民たちが、酔って「興奮」し「大騒ぎ」をしたのが由来だといわれています(他説もあり)。このrumbullionは、現在では使われていない単語ですが、rumの方は世界中の言語に広まりました(ただし、つづりはスペイン語ではronに、フランス語では rhumに変わっています)。

小笠原のラム酒造りの幕開け

搾汁
搾汁

1830(文政13)年、ボニン・アイランド(無人島)と呼ばれていた小笠原諸島に欧米人5名とハワイ人約20名が入植しました。彼らは、亜熱帯の気候を利用してサトウキビを栽培し、そしてラム酒を製造しました。入植者の一人である米国マサチューセッツ州出身のナサニェル・セイヴァリー(Nathaniel Savory)が、米国などの捕鯨船との間でラム酒の取引をしたことが記録されています。1876(明治9)年に小笠原諸島が日本の領土になると、サトウキビ栽培と製糖業、そして酒造りはさらに盛んになり、ラム酒は「泡酒」「糖酎」「蜜酒」と呼ばれて島民に親しまれました。

ラム酒造りの復活

発酵
発酵

第二次世界大戦中の戦況悪化により全島民の疎開が行われ、小笠原でのラム酒造りは一時期途絶えます。大戦後、小笠原諸島はアメリカ統治となりますが、1968(昭和43)年に日本に返還されました。疎開から戻ってきた旧島民にとって、かつて愛飲したラム酒の味は忘れがたく、ラム酒製造の復活が望まれました。こうした願いに応えて、1989(平成元)年に小笠原ラムリキュール株式会社が設立され、1992(平成4)年にはラム酒の販売が開始されました。こうして生まれたのが、「小笠原ラム」です。

蒸留
蒸留

世界のラム酒造り

カリブ海から始まったラム酒造りは世界中の亜熱帯地域に広がりましたが、植民地の宗主国の違いによってそれぞれの特色が味に表れています。イギリスはスコッチ、スペインはシェリー、フランスではコニャックの製法を基にしてラム酒造りが行われました。日本では、焼酎や泡盛などの製法を基本としてラム酒が造られたため、日本のラムは焼酎や泡盛の風味を感じさせる味わいだと言われています。

ラム酒の活用法

初留
初留

ラム酒は、アルコール度数が約40~50%と高く、豊穣な甘さと独特の甘い香りが特色です。ラム酒はストレートロックで味わう飲み方だけでなく、モヒート、ピニャ・コラーダなど様々なカクテルのベースとして、さらにはお菓子作りの材料として用いられています。小笠原では、ラム酒に小笠原の特産品であるパッションフルーツの果汁を加えた「パッション・リキュール」が作られており、独特のさわやかな甘みを味わえます。

海底熟成ラム Mother

さらに、2017(平成29)年に発売を開始した新ブランドに「海底熟成ラム Mother」があります。沈没船に積まれていたラム酒が引き上げられた際、長年海底で熟成されていたためおいしくなっていたという話からヒントを得ており、まず小笠原ラム酒を海中でも長期保存できる特殊なビンに詰め、島のダイバーによって母島近海の水深10~15mの海底に沈めます。1年後、ダイバーが引き上げると、ビンの周りにはサンゴや砂が付着していますが、栓は完全に密封されていて問題ありません。熟成前と後とで味を比較したアンケートの結果、味がまろやかになったとの評価を得ています。度数は40度で、フルーティで飲みやすいラム酒です。

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