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 地域資源紹介

東京スカイツリー
©TOKYO-SKYTREETOWN

東京スカイツリー®

■指定されている場所:墨田区

「東京スカイツリー」は、2012(平成24)年に開業した、自立式電波塔としては世界一の高さを誇る電波塔です。最寄駅は東武スカイツリーライン「とうきょうスカイツリー駅」や、半蔵門線「押上〈スカイツリー前〉駅」です。300店舗を越す商店が集まった「東京ソラマチ®」や、プラネタリウム、水族館、複合オフィスビル「東京スカイツリーイーストタワー®」が併設されており、それらはまとめて「東京スカイツリータウン®」と呼ばれています。

東京スカイツリーのアンテナ

東京スカイツリー
ゲイン塔

東京スカイツリー最上部の「ゲイン塔」には、地上デジタル放送やFMラジオなどのアンテナが取り付けられています。東京には高層建築物が林立しているため、ビルの陰に電波が届きにくいのが問題となります。これを解決するには、電波塔を高層ビル群に近い土地に建設し、かつなるべく高い場所にアンテナを設置する必要があります。東京スカイツリーは都心部に近く、高さが634mもあるため、ビルの陰になる場所を減らし、さらに電波のカバーエリアを遠くまで広げることが可能になっています。また、その高さを活用して、雷の観測装置や大気組成の観測装置も置かれています。


東京スカイツリーの形

東京スカイツリー
「そり」と「むくり」
ライティングは「雅」

東京スカイツリーの断面は、最下部がタワーを安定させるのに有利な正三角形で、一辺が約68mです。上にゆくにつれて丸くなっていき、地上315mのところで円になります。ゲイン塔は円筒形なので全方向にアンテナを取り付けやすく、天望デッキが円形なので360°の景色を眺めることができます。東京スカイツリーのシルエットは、見る方向によって変化し、最下部の三角形の頂点から上に伸びるラインが見える場合は中央がややくぼんで反(そ)っており、三角形の辺の中央から上に伸びたラインの場合はややふくらんだ線になります(図解を参照)。これは、日本刀のもつ「そり」や、寺社建築の柱において上部や下部が細く、中央がふくらんだ「むくり」といった日本建築などに伝統的に取り入れられてきたデザインです。


東京スカイツリーのライティング

東京スカイツリー
バレンタインの時期のライティング

東京スカイツリーのライティングには、隅田川の水をモチーフとした淡いブルーの「粋(いき)」や、江戸紫を基調とした、金箔のようなきらめきと動きのある光の演出の「雅(みやび)」の他、古来より縁起の良い色とされてきた橘色(たちばないろ)を基調とし3つの面を強調した「幟(のぼり)」があります。さらに、クリスマスの時期には、もみの木をイメージした緑色の「シャンパンツリー」や揺らぎながらも力強く燃え続けるキャンドルの炎をイメージした赤い「キャンドルツリー」、桜の時期のピンク色の「舞」、毎年3月10日、東京大空襲への鎮魂の祈りを込めた「白色のライティング」等々、期間限定でタワーが様々な姿に彩られています。これらのライティングには、すべて省エネルギーのLED照明が使用されています。


天望デッキ・天望回廊

東京スカイツリー
天望デッキ(下)と天望回廊(上)

東京スカイツリーの高さの634mを「むさし」と読めば、この地域の旧国名の「武蔵(むさし)」になります(武蔵国は、現在の東京都と埼玉県全域、および神奈川県の一部に相当)。地上350mの「東京スカイツリー天望デッキ」からは、関東平野全体、つまりかつての武蔵国全体を一望できます。ここからの眺望は、江戸時代の絵師・鍬形蕙斎(くわがたけいさい)による鳥瞰図『江戸一目図屏風(えどひとめずびょうぶ )』(1809年)とよく似ているため、天望デッキには「江戸一目図屏風」の実物大の複製パネルが展示されています。蕙斎が描いた富士山のように、天気の良い日はこの展望台から美しい富士山を望むことができるでしょう。
地上450mにある「東京スカイツリー天望回廊」には、チューブ型でガラス張りの回廊があります。この中を歩けば、まるで空中を散歩しているかのような気分を味わえます。らせん形状になっており、スタート地点の445mからゆるやかなスロープを登っていき、451.2mの最高到達点「ソラカラポイント」にたどり着きます。


東京スカイツリーの構造

東京スカイツリー
大口径の鋼管を主構造とする外塔

東京スカイツリーは、大災害の際にも放送・通信機能を維持できるように、地震や強風に対しても安全な構造になっています。直径8mの鉄筋コンクリート造の心柱を中心に、鉄骨は内塔・中塔・外塔の3重構造になっています。外塔は、最大径2.3m・厚さ10cmという大口径の鋼管を主構造としています。さらに、地震時の揺れを減衰させるため、心柱と内塔・中塔・外塔とは構造的に分離されています。ちょうど、塔と心柱が構造的に分離している五重塔の構造に似ています。


東京スカイツリーと地層

東京スカイツリーの敷地の地下は、「有楽町層」と呼ばれる軟弱な地盤が25〜30mの厚さで横たわり、その下に「埋没ローム層」、「埋没段丘礫層」があり、さらに下の地下約40mより深い層に、堅固な「東京層」が存在します。東京スカイツリーの基礎として、地下約50mに達する壁厚1.2mの鉄骨鉄筋コンクリート造節付き連続地中壁杭(ナックル・ウォール)が打ち込まれていて、東京層の深さにまで達しています。


江戸時代の押上

東京スカイツリー
江戸時代の東京スカイツリー周辺
尾張屋板切絵図『隅田川向島絵図』(安政3)より

東京スカイツリーが建設された墨田区押上(おしあげ)一丁目は、江戸時代は人家もまばらで、のどかな田園地帯でした。この一帯には田畑を潤す水路が多数流れていましたが、その多くは埋め立てられて現在は道路になっています。ちなみに、東京スカイツリーの北にある「曳舟川通り」という名前は、「曳舟川」という水路があったことに由来しています。近くに梅の木が植えられた場所があったために、この場所はかつては「小梅村」と呼ばれていました(今もとうきょうスカイツリー駅の改札を出たすぐ近くに「小梅児童遊園」という小さな公園があります)。


船のドック跡

東京スカイツリー
『東京鳥瞰図』(大正11)より(部分)

1902(明治35)年、東武鉄道の「吾妻橋駅」が開業しました(駅名はその後、「浅草駅」、「業平橋駅」と変わり、東京スカイツリーの開業に伴って「とうきょうスカイツリー駅」に改名)。大正初期には、京成電鉄押上線や東京市電の路線もここに駅ができて、隅田川や北十間川(きたじっけんがわ)を通る水運と、鉄道の陸運をつなぐ交通の要所となりました。

東京スカイツリー
昭和28年の『郡市計画図』(部分)の業平橋ドック

1910(明治43)年5月には、北十間川に接続し、貨物列車に荷物を移すための「船渠(せんきょ)」も作られました。ちょうど東京スカイツリーの建つ場所が、かつては船のドック(船渠)だったという痕跡は、現在全く残っていません。


日本初の生コンクリート工場跡

東京スカイツリー
井上安治『小梅』(明治14-17年)

東京スカイツリーの南にある北十間川は、業平橋より西方は源森川と呼ばれ、江戸時代〜明治時代には川沿いに瓦焼き場が数多くあったため、かまどの煙がいつも立ち上っていました。1949(昭和24)年、磐城コンクリート工業(現、住友大阪セメント)が、東京スカイツリーのある敷地に日本初の生コンクリート工場を建設したため、戦後の都市の復興に大きく貢献しました。今も、東京スカイツリータウンの一角には「生コンクリート工場発祥の地」の碑が立っています。この生コンクリート工場および東武鉄道の貨物ヤードの二つの広大な跡地が利用されずに残っていたため、それを活用して東京スカイツリータウンが建設されるに至ったのです。

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