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地域産業資源紹介


産業用機械部品

■指定されている場所:大田区、青梅市、奥多摩町

東京都には産業用機械部品をつくる中小工場が数多くありますが、中でも大田区には、それらの工場が多く集まっています。市区町村ごとに見ると、町工場の数としては東京トップクラスの機械加工工場の集積地です。
しかし、わずか100年前には、のどかな海岸に海苔の養殖が盛んな地域でした。品川から大森の沿岸部にかけては、遠浅で波が穏やかなことや、多摩川が山から豊富なミネラル分を運んでくることにより、海苔養殖にきわめて適した地域でした。大正時代、東京湾沿いには次第に工場が並び、特に関東大震災で東京の中心地にあった工場が、難を逃れてこの地に移転してきました。昭和初期には、戦車や機関銃などの部品といった軍需品が作られました。戦後、鍋や弁当箱といった日常的に使うものや、リヤカー、農具などが生産されました。
しかし、東京オリンピックに伴う港湾整備計画や漁場の水質悪化などが原因で、昭和37年に海苔業者たちは漁業権を放棄することを決定し、こうして大田区の海苔養殖は終わりを迎えました。補償金を受け取った海苔業者の中には、工業に転向する者も現れ、彼らはかつての海苔干し場に工場を建てました。とはいえ、それらは大規模な工場ではなく、小型の機械を導入した小さな町工場でした。それで、一つの工場ですべての部品を完成させるのではなく、自分は「切削」、お隣さんは「研磨」、そのお隣さんは「メッキ」というように、近くの工場に工程を「まわして」、一つの製品を完成させました。仲間どうしのネットワークによる方法は、「仲間まわし」と呼ばれてきました。大田区では、「大田区に空から図面を投げ込むと、どんなものでも翌日には見事な製品になって出てくる」というフレーズのとおり、ものづくりに長じた職人たちの集団によって製品が生み出されました。大田区内の工場の80%は部品加工を専門としており、最終製品を組み立てる工場が少ないのは大きな特徴です。

このように、個々の工場が部品を作っていると、近隣の住民の方々は「一体何を作っている工場なのだろう?」という疑問を持ちます。大田区の工場は、住宅と混在しているために、お互いがお互いを理解することが必要です。そこで、近年は「おおたオープンファクトリー」が開催されています。これは、大田区の町工場を期間限定で一斉に公開するイベントです。子供たちも含めて、職人さんとの会話をしたり、モノづくりの体験プログラムに参加して、モノづくりの魅力を知ることができるため、大変注目されています。

平成25年に設立された「くりらぼ多摩川」は、昔の町工場を改修した施設で、モノづくりワークショップや体験イベントが楽しめる拠点として活用されています。
大田区の工場には、それぞれの分野において職人芸ともいえる技術をもった人々が働いています。その一例として、87歳で現役で仕事をしておられるある職人さんは、計測機器の部品を加工を行っていますが、1000分の1ミリ単位の精度で仕事をしています。写真では、1000分の1ミリ単位の誤差まで測れる器具を使って、筒型の金属部品の太さが一定であることを計っているところです。海外からの見学者も多く、英語の教科書でも紹介されています。


計測・分析機器を多く製造している多摩地域でも、高精度な産業機械部品を製作している工場が少なくありません。最終的な製品ではないために、どのようにその部品が働くのかを一般の人には分かってもらうのが難しい場合がありますが、縁の下の力持ちとして、それらの町工場は日本の製造業の発展に大いに貢献しています。

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