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地域産業資源紹介


現代の煙管

喫煙具

■指定されている場所:台東区、墨田区、荒川区、葛飾区

1492年、クリストファー・コロンブスが大西洋の東インド諸島サンサルバドル島に上陸し、最初に接触した先住民はアラワク族でした。彼らから友好のしるしとして乾燥したタバコの葉を受け取りましたが、それをどう利用するのか理解できませんでした。その後、乗組員のヘレスとトーレスが喫煙を最初に目撃しました。やがて植物のタバコは、観賞用・薬用としてヨーロッパに伝わり、次第に喫煙の習慣が広がりました。日本への伝来は、ポルトガル人宣教師によって持ち込まれたと伝えられるものの、明確な時期は定かではありません。いずれにしても、きわめて短時間の間に、アメリカ大陸からヨーロッパを巡り日本にまで到着しました。1605年には、すでに長崎で最初にタバコが栽培されたと言われています。こうしてタバコの栽培と喫煙はまたたく間に日本に広まりました。

江戸時代の喫煙具は、キセル(煙管)が主流でした。一般的なキセルは、金属でできた火皿のついた雁首(がんくび)と吸い口、そしてそれをつなぐ竹製の羅宇(らう)からなります。雁首とは、キセルの先端の鳥の雁(がん)の首のように曲がった部分のことです。この他に、全体が金属でできた「延べキセル」もありました。こうしたキセル作りは、江戸や京都、会津、また燕(現在の新潟県燕市)で盛んでした。
屋外でキセルを吸うためには、キセルや刻みたばこを入れるための「キセル入れ」「煙草入れ」が必要でした。中には革製のものもあれば、高級織物の緞子(どんす)を使用したものもあり、装身具として様々な趣向を凝らしたものが作られました。
江戸時代中期には、専用の「煙草盆」が室内での喫煙用に作られるようになります。蒔絵(まきえ)が施された漆器製のものや、貝の真珠層を薄く貼った螺鈿(らでん)細工のもの、銀製のものなど豪華な「煙草盆」も作られました。

さらに明治時代には、「紙巻たばこ」が庶民に広まります。紙巻きタバコは、東京の岩谷商会と京都の村井兄弟商会が主なメーカーでした。しかし、明治37年、財政難だった政府が日露戦争の戦費を調達するために、「煙草専売法」が出され、煙草はすべて専売制へと変わりました。戦前は大蔵省の専売局がタバコ事業をすべて担っていましたが、昭和24年に日本専売公社にタバコの専売権が移行しました。昭和60年に日本たばこ産業株式会社 (JT) が設立され、日本専売公社は解散しました。

戦後、マッカーサー元帥が火皿が縦に長い独特のパイプをくわえて厚木飛行場に降り立つと、日本でもパイプが人気となり売れ始めました。当時は、パイプを製作する会社が東京で47社もありました。パイプには、さまざまなタイプの形が存在し、また精巧な装飾が加えられたものもあります。材質もクレイ(陶器)や、メシャム(海泡石)、木材では、サクラやカエデ、ブライヤ(日本には生育していないツツジ科の常緑低木 Erica arborea)、オリーブ、トウモロコシの芯などが用いられます。


高級パイプ作りには、材料となる木材の木目の入り方に応じて、どのように仕上げるかを職人が見極めなければならず、曲面仕上げも一個一個職人の手によってなされます。台東区にあるパイプメーカーの製品は、海外のパイプ愛好家にもよく知られており、国際的にも高い評価を受けています。

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